私は勉強していない期間も含めると、大体15年くらい社労士の勉強をしていました。
その大部分はあるものが原因で毎年挫折に終わります。
その原因とは、「ノートを書くこと」です。以前もブログで投稿しましたが、文房具が大好きなので、モチベーションを上げるためにもノートを活用したい!ということが先行してしまい、ノート作成に時間を費やしていました。
ノートを書くことすべてが悪いことではありません。
義務教育では必ずノートを使って、教科書の要約を書いたり、自分の思ったことを書いたりしています。
私のノート作成の何がいけなかったのでしょうか?
それは、目的が勉強をすることではなく、作成することになってしまったことです。
こんな感じで、ノートを作成していました。とにかくノートを作っているときは楽しかったです。勉強した気分にもなりますし、達成感もありました。でも、それはあくまで「ノートを作成したこと」の達成感であり、楽しみです。
「ノート作成」が目的になってしまい、勉強した気分になってしまったことにはもう一つ原因がありました。
上の写真は「ふせんノート」としてインスタに投稿していました。
「ふせんノート」は今ではメジャー(?)な勉強法の一つとなっておりますが、投稿していた時期は10年くらい前で、「ふせんノート」が流行る少し前でした。
投稿すると1だったフォロワーがみるみる増え、一時期は5,000人くらいになりました。少しづつ「ふせんノート」が世の中に浸透していき、雑誌が発売されるというときに、出版社の何社かからお話をいただき、掲載されたこともありました。
自分が発信したことに反応がもらえ、雑誌にまで載るということで舞い上がっていたのですね。
その時には、勉強というよりは「ふせんノート」を作成し、世に発信することが目的となってしまいました。見た目は「毎日めっちゃ勉強している人」です。
当然、目的が全然違うので試験に受かるわけもなく、結果が伴わないことに気づきました。こんなに「毎日めっちゃ勉強している人」で発信しているのに試験に受からなければやっている意味がないじゃん、ということでインスタはやめました。
また、テキストに書いてあることをまとめた感じになっていますが、ほぼ丸写し。
資格のテキストは学生時代の教科書とは違い、参考書に値するものです。なので、ほとんどのことはテキストに書いてあります。
それをまたノートに書くという作業は、本当に時間の無駄でした。
テキストもノートもちゃんと見返すのであれば、ノートを作ることはとても有効だと思います。
しかし私は見返すことをせず、ノートを作ることに満足してしまいました。
初めて社労士試験の勉強をしたときに一緒に勉強していた方が、テキストの文章を図にまとめたり、要約したりするのがとても上手でした。その方はノートにきれいに書くのではなく、そこら辺にあった紙にさささっと書くのです。そしてその紙を覚えるまで見返し、あとは過去問を寝っ転がりながら眺めている、と。そして一発合格しておりました。
まとめ方がものすごく上手だな、と感心したのもありますが、それよりも勉強は机に向かってするものだと思っていたので、寝っ転がりながら勉強というフレーズにすごく衝撃を受けましたし、どういうことか理解することができませんでした。結局のところ、合格した年の勉強は寝っ転がりながら過去問を解いている自分がおり、こういうことかと納得したのを覚えています。
ノートの呪縛は長い間続きます。ノートを作る時間がないから、と試験勉強すらしない年もありました。しかも何年も。
いつまでも目的は「ノートを作ること」。なぜこんなに縛られていたのかは、よくわかりません。
おそらくですが、勉強のイメージが高校くらいで止まっていたのだと思います。教科書を読んで、ノートを書く、ちゃんと座ってという枠にはまったまま抜け出せなかったのでしょう。
時は過ぎていき、もう一度勉強をしようと思ったのは4年前。今までの勉強方法は捨て、ノートは作らない、目的は試験に受かることだけを考え勉強しました。その中で、自分の中で作ったルールがありました。
①テキストは一つに絞ること。
補足用のテキスト必要かも…と思ってたくさんのテキストを収集しがちですが、このテキストを使うと決めたら浮気はせずに一途に行きました。基本テキストと横断テキストさえあれば完璧です。横断テキストは、法律のつながりを見る辞書的な役割として使いました。webテキストは持ち歩きに便利でしたが、情報集約をするのはやはり紙のほうが使いやすいです。紙は目的の場所にすぐアクセスできるということと、めくりやすいというところが魅力です。
②補足はすべてテキストに書くこと。
テキストにすべての情報を集約します。テキストがたくさんあったらどこに書いたかわからなくなり、知識がもれます。
webテキストと併用している場合はどちらかに情報を集約することをお勧めします。
③問題集は最小限に。
過去問題集も一つ決めたら、試験が終わるまで使いとおしました。同じ過去問題集を何周もします。
資格の学校に行っていれば、答練問題集があると思います。過去問+答練で回していきます。
私は条文をテキストを読むだけでは頭に入ってこなかったので、選択式トレーニング問題集も一緒に解いていました。
問題を間違えたらテキストに戻り、内容を確認します。その時に過去問題集や答練問題集にはテキストのページ番号を記入し、また間違えたときにテキストを見返せるようにしました。
余談ですが、答練はかなり役に立ちました。資格の学校に行っていればプランに含まれていますが、独学の方だと申し込まなければなりません。それでも支払う価値はあるかな、と個人的には思います。
④模試は必ず会場受験すること。
試験への緊張感や時間配分は模試でしか練習ができません。自宅受験で時間配分は練習できても、緊張感を味わうのはほぼ無理です。とにかく気が散ります。
模試の解説や模試後の講義でよく講師の先生が言っていたのは、「模試ができなくても気にしない」。試験を受けることの練習であり、できなかったのであればその後できなかったところを勉強すればよいだけのこと、とのことでした。
「模試ができなくて、もう無理だ」、と思うこともたくさんありましたが、落ち込むのではなく「これが模試でよかった。どこが苦手なのかが確認できた!」とポジティブに考え、直前期を乗り切ることが大事です。
本番までにどれだけ復習をしたかが、合格へのカギだということですね。
⑤1分でもいいからテキストもしくは問題集を開くこと。
とにかく毎日1分でもいいからテキストや問題集を開くことを意識しました。今日は勉強したくない、やる気がない、でももう何でもいいからそこら辺にあるテキストを開く。そうすると不思議と勉強モードになります。
(家のどっかしらにテキストや問題集って落ちてますよね?私だけでしょうか?本棚にしまったはずのテキストがベッドやダイニングテーブル、勉強用のデスクに散らばっておりました。きっとこれはよろしくない例ですね…)
勉強計画を立ててる場合、本当に息が詰まる時があります。もうやりたくない!と発狂しそうな時もあります。そんなときは休みましょう。休むのが怖かったら、1分だけテキスト開きましょう。すると、あら不思議、発狂しそうな自分が別人となって勉強と向かい合っているではありませんか!これで勉強モードの完成です。
どうしてそのような心理が働くのかな?と私なりに考察してみました。
1分だけでも、と開いたテキストの1節だけ読むと、1節だけで完結することってほぼないので、いろんなことが気になってきます。そうすると「ちょっとここも見てみようかな」、「あ、こっちも気になるな」なんて学習がどんどん広がっていきます。
過去問も1問だけ解こうと思って開いたら、知らぬ間に次の問題次の問題次の問題…間違えたら気になるからテキスト見て…と気づいたら結構問題解いてるじゃん!ちゃんと復習もできた!という感じです。
上記の勉強と計画的にする勉強の違いは、自由と強制です。
勉強計画を進めるための勉強は目標に向かっていくための過程です。しかし計画を進めていくと次第に「強制」に変わってしまうことがあります。それは勉強していく中で必ず起こることだと思います。ずっと楽しく勉強なんてできません。
計画の中で、しなきゃいけないと思っている強制的な勉強は、本当に苦痛の作業になることがあります。そんなときに視点を変えて、気になることを調べていく自由な勉強にすると全然苦痛ではなく、むしろ楽しい作業に変わります。
気になることを調べる作業というのは、日常でもしていることであり、それは自分が率先して行っている行為です。「しなければいけない」という強制ではなく、縛られない探求欲からくるものなので、欲を満たしていくということは脳に苦しいではなく、楽しいという刺激を与えるのだと考えます。
といっても私脳科学者じゃないので、あくまで自分の経験から物を申しおります。
でも、探求欲を満たしたときに覚えることは、ものすごく脳に焼き付いたような気がします。あいまいですみません。
探求欲もなく、ただただ苦痛だったら、1分だけ勉強して明日へ切り替えましょう。「強制」から脱却しましょう。
そして、注意を一つ。前述しましたが、勉強計画を立てていることが前提です。
自由にやりすぎると学習のもれが出てくるので、毎日自由にすることはお勧めできません。
計画的に勉強していく中で、本当に勉強が強制的に行われていると思ってしまったときに、自由な勉強法に少し切り替えてみてください。使い分けだ大事かな、と思います。「やらなければいけない」という気持ちも大事だと考えます。
私は特に仕事が繁忙期の時や試験の直前期などは「1分勉強法(勝手に命名)」は大いに役立ちました。前述した「寝っ転がりながら過去問読む」は、繁忙期や試験の直前期で行っていました。
④、⑤は直前期や忙しくて勉強に時間が割けないような時に使う勉強方法かと思います。3月くらいまでは基本を頭に詰め込むことが大事です。社労士の試験は本当に基本があってこそ、かなと。基本的なことの地盤を作っておけば多少の難しい問題にも太刀打ちできるようになります。基本がしっかりしていないと、取れる問題も取れません。私はそれで涙しました。基本的な問題で落とすのは、本当に悔しいです。
2024年の試験は、「過去問の意味!!!!」と叫びたくなるような問題だったような気がして、こんな問題見たことないよ!って思ったけど、言い回しを変えているだけだったりします。基本的なところは点数を取ることができたので、基礎地盤をしっかりしておいてよかった、と心から思いました。でも試験が終わった時は、本当に茫然自失で、択一式はきっと3点です、という感じでした。
一発合格できることが一番良いですが、すべての方がそうなるわけではありません。現に私は一発合格できなかった組。資格試験は勉強の年数を重ねるごとに辛く、苦しくなります。また1年頑張らなければならないのか、モチベーションを保っていかなければならないのか、と。それでもあきらめずに勉強に立ち向かっていった時間は人生の財産となります。
私も悔しい思いを何回もしているからこそ、少しでもお役に立てることがあるかもしれない、と思いつづりました。
ノートに呪縛されていたなんて、参考にならないかもしれません。それでも最後までお読みいただき、ありがとうございました。
社労士試験受けようと思っている方や続けようか思い悩んでいる方、長年試験勉強をしていて方向性を見失っている方(これは私です)いろいろな方がいるかと思います。少しでも気になることがあればご連絡ください。陰ながら全力で応援しております!